計算器の歴史


計算の歴史は古く紀元前450年頃 ABCUSと呼ばれるものから始まると言われています。
しかし、実際に計算する機械として現れたのは17世紀中頃であったようです。

 西暦1617年 ジョン・ナピア(1550-1617 スコットランド人)が対数の原理からナピア
 ロードという計算の原理(方法)考え出した。

 1642年  プレィズ・パスカル氏(1646-1716 フランス人)
 歯車の組合せで加・減算の出来るパスカル計算器を発明。機械化されたものでは最初
 であり、計算器らしい形をして来たものである。
 計算方法からみれば数個の歯車の噛み合わせよるもので、ドラムを持ち十進装置を
 持っていたが一般化するには至らず「ナピア」より劣っていた。

 1666年 サムエル・モーランド
 ナピアロードを改良した計算器を作った。円盤の直径の両端に数字を配して如何なる
 被乗数に対しても、適当な円盤を配置することによって歯車・歯棒の自動作用が、
 部分的な答えは直ちに小穴に表示されるようになっていた。現物を見た者はいないが、
 記録によって残されている。

 1694年 ゴドフリー・ウイルヘルム・ライブニッツ(1646-1716ドイツ人)
 パスカルの原理からヒントを得て掛算は加算の繰り返し、割算は減算の繰り返しで
 計算する原則を発見。
 以前の段付歯車を改良し十進作用を発明したが、(+)(−)ともにハンドルは同一方向に
 回転した。即ち回転は(+)回転のみであった。
 シリン・ドリカル・ドラム歯車とドラムの食い違い、十進機構を発明した。
 計算器の機械的なことが行われ計算器の母体を考え出したことで重要であるがやはり
 商品化するに至らなかった。

 1820年 チャールス・トーマス
 ライブニッツの原理シリン・ドリカル・ドラムによって、初めて商品化に成功。
    生産台数:1820-1865(45年間)   500台
           1965-1878(13年間)  1,000台

 この系統をトーマス系計算機と呼ぶ。この計算機の特徴は常にハンドルは同一方向に
 回転する。後継者バラスは後にパリーにて製作をはじめた。

 1874年 オドネル(1845-1905 ロシア人)
 トーマス型に改良を加え、十進装置、置数装置、文字繰装置をドラムを入れることに
 成功した。
 オドネルは発明した計算機を作るのを、誰にでも許したので当時作られていた世界中
 の計算機に大きな影響を与え、日本で作られた計算機は全てオドネル型と見てよい。
 1892年 ドイツの会社がオドネルの特許を買収して作ったものが、ブルンスビガである。
 1886年-1916年 約50000台販売する。

 1875年 スタンク・ステーフン・バルドウィン
 新しい計算器を発明、ライブニッツの用いた階段状の輪を使用しないで、その代わりに
 1から9まで異なる数の歯が周囲より突出している輪を装置したものである。
 特徴としてはライブニッツ式の輪よりはるかに薄い輪を使用しために、非常に簡便簡単
 な輪になった。トーマス式と同様にギヤーは変更する必要はない。
 性能はオドネルの特許を買ってそれぞれフランス・ドイツ・スェーデン・スイス等で生産した。

 1886年 ウィリアム・バロース(1857-1898 アメリカ人)
 計算と印刷が同時に出来る計算器(加算器)を発明し一般化した。

 1901年 矢頭良一(九州・小倉出身)
 松本清張氏の「或る小倉日記伝」には、矢頭氏の「飛翔原理」なる論文と彼が発明した
 手廻計算機の模型を携えて森鴎外を尋ねタービンエンジン付の飛行船製作の必要性
 を進言したといわれる。


 1911年 モンロー(アメリカ人)
 キーボード式の計算器を発明した。

 1923年 大本寅治郎(1887-1961 日本人)
 大正8年(1919年)国産計算器の発明考案に
 着手し、1923年商品として完成「虎印計算器」
 として販売開始した。





                                   大正12年3月18日 虎印計算機械 第一号


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